毛皮はいらない

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2011年3月22日火曜日

今の状態から一歩進む

まだ3、4歳の頃だったか。
親戚のうちに遊びにいった時の記憶。
近くの橋では、鶏の首を切断して、首が下になるようさかさまに橋に吊るし、
調理用に血抜きをしていた。

その光景を見ても、残酷ともなんとも思わなかった。

今思えば、私が幼すぎたせいかとも思ったが、
当時大人だった周囲の人に聞いても、
「残酷とは思わなかった、あれが普通だったからね」とのこと。

その場所は、今はもうすっかり都会になっているが、
当時はド田舎だったので、土地が広く、畑や養鶏(といっても家で食べる程度)、
そして畑を耕すために、牛や馬も居たそうだ。

実際、ほんの30~40年前迄は、現在のような「ありあまる流通」など無く、
それぞれに必要な食糧を必要なだけ育て、必要なだけ鶏をしめていたようだ。

「動物とヒトとの共存」というタイトルのブログで書くのも
変な話かもしれないが、私は、それはごく普通の光景だと今でも思う。

確かに、動物の生きる権利を奪う行為だけど、
「必要な分を必要な分だけ」というのは、 ごくごく自然ではないだろうか。
 ※もちろん、殺された鶏にとってはたまらない話だが。

あれから数十年。
私自身、アニマルライツに出会い、それを機に、
ヒトの手による膨大な数の動物たちへの狂気としか言い表せない残虐な行為が
ごく当たり前に行われており、
豊かでモノに溢れる私たちの日常は、
そんな死屍累々の犠牲で成り立っていることに、やっと気がついた。

動物実験や工場畜産が、日常生活と切り離せないほどに社会に根深く浸透した今、
どこからどう紐解いていけば良いか分からない。 

「必要な分を必要な分だけ」という、動物の犠牲を最小限に抑える社会には、
今更もう戻れない。
時代が進み、動物達の命が「産業化」されてしまった今、
「戻る」よりも、「今の状態から一歩進む」ことが大切なんだと思う。

まず、「今の状態はおかしい」ことに、ぜひ多くの人に気づいて欲しい。

身の回りのことからちょっとでも考えてみると、色んな事に気が付くはず。 

◎「なぜ、肉が安くて、野菜が高いんだろう?」
◎「なぜ、動物実験を行って安全なはずの医薬品で、ひどい副作用や依存に陥るんだろう?」
◎「なぜ、動物実験を行って安全なはずの化粧品で、パッチテストが必要なんだろう?」

 ・・・そして。
◎なぜ、私達は生きた魚をさばくのは目にするのに、牛・豚・鶏の屠殺場を目にすることがないんだろう?
◎なぜ、私達の安全性のために行われているはずの動物実験の現場を、目にすることがないんだろう?

 このブログを読んで下さった皆様に、ぜひ、 ご自身で、ひとつでも、お考え頂ければ有り難く思います。 一つだけでも、「あれ?」と思って頂ければ幸いです。